『散るぞ悲しき』戦争とは・・・
オススメ本 NO,0007
『散るぞ悲しき~硫黄島総指揮官・栗林忠道~』
*************************
![]() |
![]() |
散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道 著者:梯 久美子 |
たこちゃん、お父さんはこの間また、たこちゃんの夢を見ましたよ。
くれぐれもお大切に。(中略)また肌襦袢代わりに私のラクダのシャツなど着たらいいでしょう。
もし霊魂があるとしたら御身はじめ子供達の身辺に宿るのだから、居宅に祭ってくれれば十分です。
「ご苦労をかけるが、しっかり頼みます」
我等は最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん。
国の為重きつとめを果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき
これらの言葉は同じ場所で同じ人物から発せられた言葉です。その人の名は栗林忠道。命知らずの米軍海兵隊が「地獄の中の地獄」と語り継ぐ、硫黄島での戦闘の日本軍総指揮官です。
栗林の言葉、「最後の一人になるも・・・」は硫黄島の日本兵2万人に向けた戦いの心得『敢闘の誓い』の一節です。それまでの日本軍はいざとなったら『万歳』を唱えながら敵地に突っ込む、いわば『有終の美を飾る自決』が最終手段でした。が、硫黄島では自決は決して許されず、生きても地獄、死んでも地獄の中で血の一滴まで使い切る過酷な戦いでした。
最初の3つの文はそんな過酷な状況で書かれた栗林から家族への手紙です。一つ目は末娘たかこさんに向けた手紙。あとの二つは妻義井さんに宛てた手紙の一節です。硫黄島に配属になったときから骨さえ戻らぬ戦いになることを予期していた栗林は家族に向けた40通以上の手紙の中で、溢れんばかりの愛情を示し、ひたすら家族の健康を気遣っています。それは太平洋戦争真っ只中の軍人の姿とはかけ離れた印象です。
また多くの総指揮官は後方の安全なところで指揮を執っていた中で栗林は硫黄島から一度も離れず兵と同じ飯を食べ、徒歩で島中を歩き回り声をかけながら過ごしたそうです。4つめの言葉は栗林が砲台担当の兵にかけた言葉だそうです。総指揮官の声どころか、顔すら見ることのなかった時代の中で、その姿を目撃し、直接声をかけられた(しかも命令ではなくねぎらいの)ことはあとにも先にもこの硫黄島の兵だけだったそうです。
そんな過酷な状況の中生活を、いや死さえもともにすることになる兵達を栗林はまた家族のように思っていたのかもしれません。最後の文は辞世の句の一首です。大本営から見捨てられた硫黄島の兵達の無念をあらわしたこの句を書くことは、当時の軍人としては許されることではありませんでした。そのことを重々わかっていながら書かずにはいられなかった栗林の人としての想いは、結局、大本営の検閲によって修正され、60年たったいまになってやっと伝わることとなりました。
戦争で犠牲になるのはいつも市井の人々です。太平洋戦争末期の戦いだった硫黄島の2万の兵は、職業軍人は少なく、ほとんどが教師や銀行員などの生活をしていた一般人だったそうです。その兵達が米軍を震え上がらせるような戦いをしたのは、ただひとつ、本土の家族を守るのだという想いだったことがこの本を通してわかります。みんな誰かの父であり、夫であり、息子であったことが痛いほど伝わってくる、戦争の真実が書かれた本だとわたしは思います。
by ぢゅんた
| 固定リンク
| コメント (2)
| トラックバック (0)
最近のコメント